市谷亀岡八幡宮 太田道灌公御勧請 江戸城西之鎮護
市谷亀岡八幡宮(いちがや かめがおか はちまんぐう)
〒162-0844 東京都新宿区市谷八幡町15
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現在から未来へ

神道・・・現在から未来へ

現在から未来へ日本は世界に誇る素晴らしい歴史や伝統を持つ国です。
しかし、今の日本に住む人々を本当に日本人と言ってしまって良いのでしょうか。

仮に外国に行くとしましょう。
あなたは自己紹介の時に、国家と国旗に誇りを持って紹介することができますか。
それとも、自分の信仰している宗教を正確に外国の人に話すことができますか。
おそらく今の日本人の大多数がこれを行なうことができず、世界中の人々に日本人は文化伝統を担う宗教を持たず、愛国心もない連中ばかりだと思われているやもしれません。

こんな情けなくも悔しいことが何故起こりえるのでしょうか。

例えば、官僚の構造が腐敗し、その機能が時世に合わず適切ではなくなりつつあるのにもかかわらず、何故それを直そうとしないのでしょうか。
自分の親兄弟を大切にしないで、一時の感情に任せてこれを傷つけ、また自分自身も傷つき挙げ句の果てに盛り場で徒党を組んで犯罪行為を助長するのでしょうか。
何故大人しく教室で授業を受けられないのでしょうか。
何故往来をゴミ捨て場にするのでしょうか。
何故・・・何故なのか?
そして何故、オウム真理教やライフスペースごときの紛い物に人の心が奪われるのでしょうか。

日々の命に感謝し、おいしく食事ができることに感謝し、人々の縁に感謝し、そして八百万の神々の御神徳に感謝しつつ日々を過ごして、仮初めにも心荒みあらぶることのあるならば、それを罪とし、己の心を見つめ省みて、そしてまた清き直き人の誠心に立ち返るために清めを行なう、また自分自身その人生来し方に意識無意識のうちにその身に起こす罪、穢れを祓い、人として神々に愛でられる心にそして姿に立ち返り、明るき正しき心で再び神前に詣でることを目指して・・神道の信仰の本質は死と再生、荒ぶることにより失われた心を補完し、神々の祭りの中でおのが所属する社会を認識し、且つ自身の成長も自覚し、神前に立つべき心持ちの尊厳を常に維持しようとするところに神道信仰の本質があります。

言い替えれば神々と自分自身との関係において、常に神々の心根に沿うように生きる、そして自分自身の心の中にある神々を信じて悪戯に「すがる」ことをしないということなのです。「すがる」ということは自分自身が無くなるということです。
神々は人を自分で努力し、考えた末に実行されるようにこの世に生ましめているわけで、人は神々の意志をよく汲み取ること、即ち自分たちの心の中に分け戴いている神々の大御心によくよく逆らわずに考え、努力し日々生きていくのが勤めであるにもかかわらず、すがる=自分自身が無い=自分自身の中にある神の神なる部分を信じることができない、このような人がいくらご神前でお願いしてみても神々の元にその願いは届くのでしょうか、 甚だ疑問が残ります。

神道について何故ならば、「すがる」という状態は自分自身の本質を自分で否定しているのですから、実体が無いのに等しいので、神々にはその姿も見えず声も聞こえないというわけです。

少し観念的な話で恐縮ですが、とにかく最近神社に訪れる方の中には、ウツロな心の方が非常に多い。神域というのはそれ自体が世間と異なり、清浄な空間、聖別された地のわけですから、ウツロな心の持ち主には、まさに砂漠にオアシスといった具合で、本人は頗る気持ちよくお参りして帰られるのですが、ご神前、特にお賽銭箱の回りにはこの手の「思い」が残るわけでして、日常神様方が十分なお力を発揮戴けるようにと、物質的にも霊的にも清めている神職は結構きつい思いもしたりします。
このウツロな心ですが、何も無いという意味のほかに、本来ご神前に向かうに相応しい心構えが無いという意味の方が最近では強く感じられます。

お願い事が「人事を尽くして天命を待つ」式のものであれば問題ないのですが、どうもそういうものとは懸け離れた、あれしてくれ、これしてくれ式の、全く自分自身の努力とは無関係な欲をぶつけるだけの心もウツロな心と言ってもよいと思います。更には嫉妬、いじけた、あるいは反省の無いといったのもすべてウツロな心の類いと言えます。

そして特徴的なのが、現代人のほとんどがこのウツロな心を少しずつそれも異なる形で共有しつつ、それを自覚していない、又は自覚していても口に出せない状況の中にいるということであり、これら総称して乾いたとか潤いの無い心と言っているようであり、それを少しでも改善しようとした結果が、いわゆる『癒し』という言葉に代表される現象と言えるでしょう。

多様な価値観、反乱する情報、世代間の断絶、高齢化社会、希薄な人間関係、受験というテクニックを教える教育、人間性が感じられない子供、母性の無い女性、腐敗した官僚機構とそれを維持するための税制、私腹を肥やすだけの宗教、人間性を否定するがごとくの犯罪などなど、新しい時代に向かい決してそうありたくないと思っていてもネガティブにならざるを得ない社会情勢の中で、人間は心地よく生きるということを何処か物理的な面だけクローズアップしてしまったのではないでしょうか。
天地の恵に感謝して生きるという生の本来の姿、原風景を探し始めましょう。すると必ず『日本のDNA』としての神道が輝いているはずです。

未来は決して突拍子もないところにあるのではなくてすぐ近くにあるのですから。

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